2007年12月04日
離れゆく線と
銅版画というものはなんとも面倒な作業が多いことか。
薬品を付け、線を描き、腐食させ、拭き取り、絵の具を付け、拭き取り、プレスにかける。
これがタブローならば、絵を描く。これだけなのに。
もともと油絵を描いていた彼女だったが、ある時に銅版画を試してみたそうだ。
それが今回の個展の出発点。
新しいことに踏み出すのは、1つの事をやり終えたか、または放り投げてしまったかのどちらか。
彼女は後者(もちろん一時的なことなのだけど)だと僕に話していた。
つまりは絵を描く事に行き詰まっていたのだ。
そんな閉塞感からの逃避として(同時に再び書くためのきっかけを掴むための挑戦として)そのなんとも面倒な版画に手を出したのだった。
もっとも彼女は面倒よりも喜び(いや驚きだろうか)が多いことにすぐ気が付くのだが。
銅版画というものはなんとも他人任せな作業が多いことか。
もちろんすべての行程を芸術家本人が行っているにも関わらず。
腐食させる時間も、絵の具を拭き取る具合も、プレスの圧力も。
おおよその見当は付けられるが筆なりペンなり線を見ながら描くタブローと
比べたらその危うさは比べものにならない。
すべてはプレス機から出てくるまで解らない。
それは他者に結果を知らされるようなもの。
答案用紙を配られる前の緊張感にも似た瞬間。
知っているのは採点した先生だけ。
でも待てよ。先生は採点しただけだ。
回答した私こそが最初にそれを見る資格があるというのに。
・・・。
不思議なことに、自分がすべての行程を手がけているのに、
最後の最後まで結果が解らない。
作者から微妙に離されたこの距離こそ、彼女がハマってしまった版画の魅力なのだろう。
彼女は言っていた。
出来れば一緒にプレス機のローラーの間に入りたいって。
写し取られる瞬間に立ち会いたいって。
けっして叶うことはないけど。
自分の支配下にあるはずなのに、
自分の力が及ばないもの。
だからこそ知る新しい関係もあるんだ。
潔い諦めも必要なのかな。
すべてをコントロール出来ないもどかしさ
ゆえに出会える驚き。
世界はいつだって私の支配下にあるというのに
私の力が及ばない。
それが他者と暮らすと言うことか。
刷り上がった版画と作者。
他者と私。
この世はさまざまな距離の中で成り立つがゆえに
新しい驚きに満ちているという
ごくごく平凡な事実を再確認させる。
離れゆく線を 追いかける私
離れゆく線が 愛おしい私
離れゆく線へ 惹かれる私
離れゆく線に とまどう私
離れゆく線と ・・・
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2日間天気にも恵まれ穏やかな陽気の中、
たくさんの方たちにご来場頂き心温まる展覧会を開催する
ことが出来ました。ありがとうございました!
これも須藤さんの日頃の芸術への取り組みの成果だと思います。
この個展が励みになって、きっとますます芸術道を突っ走ってくれることでしょう。(笑)
須藤さん。お疲れさまでした。素敵な個展をありがとう。
最後に今回も協力してくれた「灯り屋」ヒオ君、美味しいベーコンを差し入れしてくれたサワノ君。作家を囲んでくれたみんなにひと言。
みんなの協力にはいつも感謝しています。本当にありがとう。
投稿者 スノードール : カテゴリ−(日々のできごと。) | コメント (0) | トラックバック (0)
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